2019/08/25

アイレス写真機製作所 (Aires)

その前身は韓国の企業家と日本人のカメラ設計者によって1949年(昭和24年)ヤルー光学として発足。35mmフィルムを使用するユニークな二眼レフカメラ「ヤルーフレックス」の製造を行う。ヤルーとは朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江の北京語読みに由来するそうだ。翌年1950年には「アイレス写真機製作所」に名称変更して、ローライコードに範を取った6×6cm判二眼レフカメラ「アイレスフレックスY1」、35mmレンズシャッターカメラ、35mmレンズシャッター一眼レフ「ヤルーフレックス」を製造し、二眼レフ専業メーカーとして地位を固めていった。

当時日本では二眼レフが大ブームとなり数多くのメーカーが乱立していたため、他社との差別化を考えたアイレスは世界的名声を確立しつつあった日本光学からニッコールレンズの供給を受けることに成功した。4作目のフイレスフレックスZが、ニッコールQ・C75mm F3.5レンズ付で登場したのは1951年であった。

日本光学はアイレスにニッコールレンズを供給するに当たり、ボディ側の精度や品質を日本光学の自社基準に適合させることを強く求めたという。

アイレスは日本光学の助けを受けて工作機械や検査機械をグレートアップしたことから製品の品質が向上し、性能も良いことから国内販売が好調で、さらに米国のシアーズ・ローバック社への供給も行うなど会社は順調に発展していった。

1953年には自社製のコーラルレンズの安定供給も可能にした。

そうした中で、次を担う製品として35mm判レンズシャッターカメラの開発が進められ、1956年6月にアイレス35を発売する。当時世界はライカM3の登場で沸き返っていたが、1954年10月にはいち早く採光式ブライトフレームを備えた一眼式連動距離計内蔵のアイレス35Ⅱ型を世に送り、世間を驚かせた。以後アイレス35シリーズはこの方式のファインダーを備えており、その品質と性能の高さから35mm判レンズシャッターカメラの有力メーカーとして君臨した。

1955年9月にはこれも国産レンズシャッターカメラとしては初めてのガウス型の大口径レンズ、コーラル45mm F2を備えたアイレス35Ⅲ型を発売、巻き上げレバーの採用も早かった。

1956年2月に組立工場が火事で全焼する事故に遭遇するが、すぐに工場を再建、当時はカメラの売れ行きも好調で業績は良好であった。しかし1958年9月にレンズ交換式の最高級レンズシャッター式カメラ「アイレス35Ⅴ」を発売した当たりからカメラの販売が不調に推移し始め、その後レンズシャッター式一眼レフ「アイレス・ペンタ35」を1959年10月に発売するなどしたが、1960年(昭和35年)7月についに資金繰りに窮して倒産してしまう。

[掲載文献]
写真工業 2005年 10月 Vol.63 №678 P82
世界ヴィンテージ・カメラ大全 P242