2019/08/25

アイレス35-Ⅲ 1955年


レンズ:Hコーラル4.5cm F2.0 
シャッター:セイコーシャMX  B、1~1/500秒 
ファインダー:採光窓式ブライトフレーム、一眼式連動距離計
最短撮影距離:0.5m
巻き上げ/巻き戻し:レバー式/ノブ式
大きさ・重さ:134×88×70 mm、 820g
発売時価格:31,000円

1954年春の「フォトキナ」で発表されたライカM3に対抗すべく、1954年6月に発売されたアイレス35(目測式)を改良、採光窓式ブライトフレーム付き一眼式連動距離計を搭載、1954年10月に発売されたのがアイレス35Ⅱ型である。国産他社がブライトフレーム・ファインダー付カメラを出したのが約2年後であり、アイレスの技術力の高さを示している。



 アイレス35Ⅱ型発売の1年後、改良型のアイレス35Ⅲ型が出る。アイレス35シリーズ最初のレバー巻上げ式カメラであり、セルフコッキング方式が採用され速写生が向上した。また、アイレス35Ⅲ型は国産のレンズシャッター式カメラの中で初めてF2クラスのガウス型の大口径レンズを搭載した。他に、シャッターレリーズの位置が一般的なボディ上部に移りデザインがスッキリし、一見するとライカMに似た雰囲気を持った。さらに、国産の同種のカメラで初めてF2クラスの大口径レンズを搭載した。
その後、アイレス35ⅢA型(1956年10月)、アイレス35ⅢL型(1957年3月)、アイレス35ⅢB型(1957年5月)と続く。
アイレス35ⅢL型は31,000円だったが、アイレス35ⅢB型はレンズをコーラル45mm F3.2と暗くすることで19,000円と廉価版だった。



ライカM3のブライトフレーム・ファインダーが日本のカメラ開発に与えた影響は大きく、35mmフォーカルプレーンシャッターカメラの分野だけでなく、レンズシャッター・カメラの分野にも積極的に広がっていった。
このカメラの開発を担当した三橋剛はライカM3のファインダーは戦争中に見た戦闘機の機関銃用照準器と同じだと直感した。そしてその光学系を利用したブライトフレームを持つ連動距離計ファインダーを設計し、アイレス35に組み入れて「Ⅱ型」として発売した。
戦闘機用光学式照準器はフランスのO・P・L社が1932年頃には既に完成していた。日本で最初に光学式照準機を装備したのは零戦で1939年に試作が完成し、その翌年には実戦に投入されたが、照準機が間に合わず、十数機輸入しながら性能不足で実用にならなかったドイツのハインケル戦闘機からレビ12型照準機を取り外し、零戦に装着して急場をしのいだという。その後レビ12をモデルに国産化が行われ、98式射爆照準機となる。それを大量に生産したのが富岡光学(京セラ・コンタックスのレンズを作った)、次いで大阪の千代田光学精工(ミノルタ)だという。

[掲載文献]
カメラの歴史散歩道 P179
世界ヴィンテージ・カメラ大全 P245
中古カメラ大集合 P79
小倉磐夫「カメラと戦争」 P15
クラシックカメラ便利帳 P157、201

[修理マニュアル]
カメラGET14「カメラの改造と修理術」 P14