2019/10/18

ハイマチック 1962年


1962年(昭和37年)、有人衛星船のフレンドシップ7号が宇宙に飛び立ったときに、宇宙撮影用カメラとして採用されたのがハイマチック(アンスコオートセット)だった。
ハイマチックは、2年前に発売したユニオマットを改良したカメラで、光の量を調節する絞りとシャッターを一枚の羽根にまとめた世界初のプログラムシャッターに自動露出化を施したカメラで、これを機にブランド名と社名を一致させるため「千代田光学精工」から「ミノルタ」に社名を変更した。

レンズ:ロッコールPF 45mm F2 (2364666) 5群6枚構成、
アンバーコーティング
ファインダー:逆ガリレオ式、倍率0.7倍 有効基線長・21mm
ブライトフレーム、採光窓式パララックス自動補正装置付き
繰り出し形式:直進ヘリコイド 最短撮影距離:0.9m
シャッター:シチズンUNI-E、45~1/500秒
オートを外した時1/30秒のみ、絞りは手動設定
露出計:セレン式連動メーター内蔵(上下36度、左右50度の角度で受光する)
シンクロ接点:Ⅹ接点(1/30秒以下、M球可能)
巻上げ:一操作レバー式 セルフコッキング自動巻き止め 分割巻上げ不可
大きさ・重さ:138×84×67mm、750g
発売時価格:19,500円

ハイマチック・シリーズは、1962年発売のハイマチックから、1972年発売のハイマチックFまで空前のロングセラーとなった。
「アンスコ・オートセット」というネーミングで海外にも輸出されている。

1962年2月20日、アメリカの有人宇中飛行船のマーキュリー・フレンドシップ7号でグレン中佐とともに宇宙に飛び立つ時に宇宙撮影用カメラとして採用されたのがハイマチックをアメリカのアンスコにOEM供給した「アンスコオートセット」だった。デザインが少し異なり45mmレンズもF2からF2.8にした。
当時NASAは世界各国からカメラを集め、あらゆる撮影条件で撮影実験を行い、狭いカプセルの中でカメラを使うときでも、大きな手袋をはめた状態でフィルム交換をしなければならない。また、複雑な操作を要するカメラではシャッターチャンスを逸する可能性がある。ハイマチックはプログラムシャッターを装備しているためピントさえ合わせれば露出が自動的に調節される。その操作性が宇宙でも対応できると判断された。
実際機内に持ち込まれたハイマチックは内部の部材に穴を開けて軽量化を図り、船内でグレン中佐が片手操作できるように固定焦点と特殊なフレームを装着するなどの改造が行われた。現在はスミソニアン博物館に保存されている。

[掲載文献]
ミノルタカメラの全て P144 日本のカメラ P127
季刊クラシックカメラ№14 「ミノルタ・ロッコール伝説」P16
カメラの歴史散歩道 P206、231~234、 ミノルタかく戦えリ P104
20世紀☆カメラ1950~2000 P26

[修理マニュアル]
レンズシャッターカメラの修理教室 P75