ライカやキヤノンなどの修理・改造を行うために、1940年(昭和15年)に設立された光学精機社が始まり。1942年(昭和17年)軍部からの要請でライカコピー「ニッポン」を製造して陸海軍に販売した。また夜間戦闘機「月光」に電探撮影用に距離計を持たない「ニッポン」が装備された。
戦後1948年(昭和23年)社名をニッポンカメラとして、1951年(昭和26年)にはニッカカメラに改称する。一貫してライカタイプのフォーカルプレーンシャッターカメラのみを製造していたが、八洲光学精機(ヤシカ)が買収し、大邦光学に名称変更、1968年(昭和43年)にヤシカが完全に吸収合併した。
ヤシカは、ニッカカメラの吸収により、フォーカルプレーンシャッターの技術が導入できたことで、一眼レフの製造、コンタックスRTSの開発へと繋がっていく。
(写真工業 2005年10月 Vol.63 №678 P82)
(クラシックカメラの世界 P39)