2019/10/15

ペトリカメラ

1907年(明治40年)栗林庸二が設立した栗林製作所に始まる。その古さは日本でも有数である。当初は三脚などを作っていたが、大正8年にスピードフレックスというカメラで高い評価を得たのがカメラメーカーとしての基礎となった。
1924年(大正13年)に合資会社栗林写真機製作所に社名を変更し、カメラボディはもちろん自社製のレンズやシャッターを製造するなど業務内容を展開する。この時期の製品は皆川商店のブランド「ファースト」で販売されていた。
昭和10年には合資会社栗林写真機製作所となり、従業員は150人に拡大。
第二次大戦中は海軍指定工場として船舶用品や光学精密機械などを作っていた。
戦後まもなく復興し、独自ブランドを付けたスプリングカメラ「クリー」を製造。
1949年(昭和24年)に㈱栗林写真機製作所となり、スプリングカメラや35mmカメラで発展を続けた。この年よりカメラブランドを「ペトリ」とした。さらに1962年(昭和37年)にはペトリカメラ㈱に変更した。
この時代のペトリは、ベトナム戦争特需で売り上げを伸ばしていた。
また、国内では独自の低価格路線を歩み、カメラの大衆化に貢献。
1977年(昭和52年)栗林一族による同属経営と過剰なまでの労働運動が対立。キヤノンAE-1など他社の高品位低価格化と、急速な円高に圧迫され販売低迷の結果倒産する。
その後労働組合の自主生産が始まり、ペトリ工業として再建、数機種が販売されたが、80年代半ばにはカメラの製造販売から撤退した。現在は双眼鏡製造などを行っている。

[掲載文献]
写真工業 2005年 10月 Vol.63 №678 P79
カメラゲット CAPA 8月臨時増刊 2005年 8月 P82