2019/10/10
PRINCE 16-5 1950年
進駐軍、駐留軍の米軍兵士のお土産として買われたカメラ。豆カメラ
大きさ・重さ:56×33.5×35.5 mm、 50 g
発売時価格:
誰が最初に豆カメラを占領軍に売り込んだかは定かではない。
彼らはこの可愛い玩具に魅了された。アメリカ製の簡易カメラは、大きなブローニー判のボックスカメラしかなかった。豆カメラは、多少ボケたり歪んだりしてもちゃんと写った。横田や厚木の基地に土産物として並べられ、帰還記念やクリスマスプレゼントに飛ぶように売れた。それを聞きつけてネズミ捕り器や蚊取り線香の金属具屋までが作り始め、品質は急速に低下し、まともに写らないものが出回るようになった。
豆カメラはすでに戦前からあった。それは1937年発売の「ミゼット」や翌年の「マイクロ」などで、これらは良くできている。
その他にクリスター、プリンスなどがあり、35mm幅の無孔、裏紙付ロールフィルムを使用し、多くは画面サイズ24×24mmの簡易カメラである。
裏紙付の17.5mm幅や16mm映画用フィルムを使い、「豆」と名乗っているが「超小型カメラ」とは違うおもちゃカメラであった。
朝鮮戦争の特需景気で日本が一息ついた頃、日本では「四畳半メーカー」が作っていた二眼レフが溢れていた。その後「もはや戦後ではない」という言葉が流行った1955年頃には消えていった。
[掲載文献]
カメラレビュー・クラシックカメラ専科 №74 P26
日本カメラ博物館「世界を制した日本のカメラ」 P9
(会津・末広クラシックカメラ博物館)