フォクトレンダー社の創業は1756年である。
当時神聖ローマ帝国の首都であったオーストリアのウィーンで、24歳のヨハン・クリストフ・フォクトレンダーⅡ世が創業。当初は測量用コンパスなどを製造していた。
二代目ヨハン・フリードリッヒは当時の光学技術の先進国イギリスで修行し、1807年からウィーンで眼鏡レスンズや測定器などの光学機器の製造を開始した。特に大成功をおさめたのはオペラグラスの開発で、社交界を中心にヨーロッパ中に広まり、イギリスではオペラグラスのことを「フォクトレンダー」と呼んでいたそうだ。
1839年フランスのダゲールが銀板写真方を発明。3代目のペーター・ウィルヘルムはわずか2年後の1841年に世界初の全金属製ダゲレオタイプ・カメラを発売した。
1848年、オーストリアが政情不安になり、ペーターは本拠地をドイツのブラウンシュバイクに移すことに決め、1852年に移転の許可がおり、以後最後までここが本拠地となった。
1876年に4代目フリードリッヒ・ヴィルヘルムが事業を継承、1900年頃からカメラの製造が始められたが、最初は他のドイツのカメラメーカーの製品と似たようなカメラが多かった。1924年にフリードリッヒが亡くなり、フォクトレンダー一族による経営が終焉すると、経営の近代化とともにフォクトレンダー社は多数の独創的なカメラを世に送り出すようになり、戦前の黄金期を迎える。
ブラウンシュバイクは戦災の影響が少なかったため、戦後すぐに操業を再開。当初は戦前からの中判スプリングカメラを製造したが、その後35mm判カメラに主力を移し、1950年代にはコンパクトカメラから一眼レフまで幅広い機種を製造、戦後の黄金期を迎える。
しかし日本製カメラが世界市場を席巻する1960年代に入ると、経営が急速に悪化し、1069年にツァイス・イコン社に吸収合併されてしまう。さらに1972年ツァイス・イコン社のカメラ製造からの撤退に伴い、フォクトレンダーの商標はローライに譲渡されてしまう。そしてその後日本のコシナがフォクトレンダー・ブランドのレンズを製造・販売するようになった。
(世界ヴィンテージ・カメラ大全 P65)