2019/09/24
レチナ (モデル119) ブラック 1936~1937年
レチナ(タイプ117)は、ドイツ・コダック社から、1934年に発売された。
レチナ発売と同時に、パトローネ入りの標準35mmフィルム(135判)を発売した。
レンズシャッター式35mmカメラはこのカメラから始まる。
フィルム巻き止め解除機構が改良されたのがレチナ118、1936年フィルムカウンターが改良されてレチナ119になる。これらのモデルの外観は、黒のエナメル塗装と、黄色みがかったニッケルメッキが基本であったが、119と同時期に登場したレチナ126は初めてクローム鍍金仕上げとなった。レチナ126はⅠ型と呼ばれ、以後登場する新型カメラと区別するため番号が併記される。
レチナⅠ型(モデル010)は第二次世界大戦直後の型で、基本的に1939年のモデル149と同じだが、戦前、戦中の部品の寄せ集めで品質はやや低い。
蛇腹折りたたみ式。
距離計連動式にはなっていないが、直進ヘリコイトによるフォーカシング。
レンズ:クセナー5cm F3.5
シャッター:コンパー、1~1/300秒
大きさ・重さ:122×75.5×38mm 455g
Drナーゲルの設計したカメラで一番有名なカメラである。クセナー50mm F3.5、1/300秒までのコンパー付という上級クラスの装備なのに価格は75マルクだったから、高性能を持ちながら大衆のためのフォルクスカメラとしての条件を備えていた。
同じ35mmフィルムを使うカメラで、その頃のライカやコンタックスの価格をみると、1953年のライカⅢaがエルマーF3.5付で307マルク、1938年のコンタックスⅡがテッサーF3.5付で360マルクであったから35mm写真を大衆のものにしたという点では、レチナのカメラ史上での功績は大きい。
ナーゲルはコンテッサ、コンテッサ・ネッテル時代、1926年ゲルツ、エルネマン、イカ、コンテッサ・ネッテル4社合併してツァイス・イコン誕生時代にもカメラを設計している。1928年ツァイス・イコンをやめ、ドクトル・アウグスト・ナーゲル精密機械製作所をスタート。アメリカのコダックと1931年に契約。この中でフォレンダシリーズがヒットし、1939年までに50万台売れているが、彼の才能が一番出たのが1934年に発表されたレチナだったであろう。
レチナ以前にレンズシャッター式35mmカメラがあり、1933年にクラウス社から「ベギー」が発売され、距離計連動を採用していた、高級なクラップ型の蛇腹折りたたみ式であったが、専用フィルムマガジンによる巻き戻し不要のものであった。
1950年代の中ごろから1960年代の初めにかけて、120判フィルムが主流から衰退して、以降35mm主流の時代になっていく。
[掲載文献]
カメラの歴史散歩道 P50
ツァイス・イコン物語 P80
クラシックカメラの世界 P21
クラシックカメラ倶楽部 P28
使うスプリングカメラ P71
カメラレビュー・クラシックカメラ専科 20世紀世界のカメラ50選 №66 P27
カメラレビュー・クラシックカメラ専科 №74 P46
スプリングカメラで行こう P48
写して楽しむクラシックカメラ Part1 P19
写して楽しむクラシックカメラ Part2 P22
世界ヴィンテージ・カメラ大全 P50
季刊クラシックカメラ12 オリンパス P100
中古カメラウイルス図鑑 P132
ちょっと触っていいですか P204