2019/09/25
パーレット 1935年型 (1933年後期型)
国産初の全金属製ロールフィルム・カメラであり、日本初の量産カメラである。戦前カメラのベストセラーで小西六の傑作カメラ。
1925年(大正14年)から小西六で製造された。(「V.P.K」の生産が終了した年)
原型は「V.P.K」だが、前部と矢来タスキはピコレットをそのまま取り入れているのでV.P.Kとドイツ、コンテッサ・ネッテル社の「ピコレット」の混血児といえる。1947年まで製造された。
形式:矢来式フォールディング・カメラ
使用フィルム:127判、画面サイズ 4×6.5cm 8枚撮り
レンズ:メニスカス・アクロマチックF11、固定焦点
アタッチメントレンズ取り付けにより近接撮影可
シャッター:エコー(2枚羽根バリオタイプ)、B、1/25~1/100秒
ファインダー:折りたたみ型針金透視ファインダーおよび反射式ファインダー。
フィルム装填方式が裏蓋開閉式
大きさ・重さ:66×126×36mm、320g
発売時価格:1924年単玉付き17円(オプターF6.3付きは28円)
「V.P.K」と「ピコレット」の良いところを合体したようなカメラ。レンズは、単玉型がベース。発売当初のパーレットはレンズとシャッターをすべてアメリカのウォーレンサック社のものを輸入して使っていた。レンズの焦点距離はピコレット同様に75mm。
・MAレンズ ウオコシャッター 17円
・デルタス6.8 ウオコシャッター 2.5円
の2種類で国産機でV.P.Kよりいくらか安い。ボディ側面に三脚穴が付けられていて小西六の宣伝もよく、次第に普及し始めた。
1932年以降は国産のレンズとペガサスシャッターが付けられ、さらに枠型透視ファインダー、その中央に近距離アタッチメント・レンズを付け、エコーシャッター付とし、またカメラの裏蓋を蝶番開閉式に改め、2本のローラーとフィルム圧板の部分をトンネル状にしてフィルム面の平面性をよくするなど改良が続けられた。最後のヘキサー付パーレットは非常に優れたカメラとなっている。
パーレットはVPKの隆盛に対抗してドイツのコンテッサ・ネッテル社が1920年に出した「ピコレット」のコピー機。実質的な日本初のコンパクトカメラとして大人気を博し、愛用者クラブ
(ユーザー組織「パーレット連盟」)が組織された。戦後まで20年以上作られ、本機には多くのバージョンがあるが、枠線式ファインダーが搭載されたのは1929年以降である。
枠型ファインダーに組み込まれたポートレート用アタッチメント・レンズなどは独創。この後期型は裏蓋開閉式になった。
[掲載文献]
コニカカメラの50年 P11
日本のカメラ P95
カメラの歴史散歩道 P73
クラシックカメラの世界 P19
写真工業 2006年5月号(Vol64 №685) P56
カメラレビュー「一眼レフの歴史とそのメカニズム」 P127
ちょっと触っていいですか P108
[修理マニュアル]
カメラ修理のABC P174