日本製セミ判スプリングカメラは1950年代に多くの機種が出ている。価格帯としては1~2万円で、二眼レフより低価格であり、アマチュアが手に入れ易かった。その中で2万円を超す高級機があった。小西六のパールである。
形式:セルフエレクティングカメラ
使用フィルム:120フィルム、画面サイズ 4.5×6cm(セミ判)
レンズ:小西六ヘキサー 75mm F4.5
シャッター:コニラピット-S、B、1~1/500秒
シャッターレリーズボタンはカバー部に付いている。
右手で距離レバーを動かし、左手でシャッターを切る。
ファインダー:単独距離計(フィート表示)
フィルム装填方式:裏蓋開閉式、赤窓式
大きさ・重さ:117×100×44mm、567g
発売時価格: 21,500円(パールⅡ F4.5付き26,650円、F3.5付き30,150円)
パールと名の付くカメラは1909年(明治42年)発売のフィルム・乾板両用のフォールディングカメラまで遡るが、戦後まで続くパールの直系の祖先は1933年に発売された6×9cm判のスプリングカメラである。ツァイス・イコンのイコンタに範をとっているが、ピント調節にヘリコイド式を採用していることが特徴であった。セミ判(4.5×6cm)のものは1938年に発売になり、セミパールと呼ばれた。同じくセミイコンタを参考にしているが、ヘリコイド採用は6×9cm判パールと同様である。
戦前からアマチュアの間で人気の高かった「セミパール」を近代化した戦後判である。小西六らしくスプリングカメラの問題点だった前蓋のタスキ周りの精度と耐久性は抜群である。戦後になり、1949年「セミ」を落としパールと改名される。基本コンセプトは1958年発売のパールⅣ型まで続いた。
セミパール時代は折り畳み式ファインダーだったが、パールになってカバーが付いてボディと一体化し、単独距離計も装備され近代的なカメラに変わった。シャッターはDURAXとなったが、1950年の「パールⅡ型」の発売とともに、パールⅠ型は「RS型」と改称され、シャッターがKONIRAPID-Sとシンクロ付きになった。この型からセミパール以来の特徴だった手提げが無くなっている。
パールⅡ型は連動距離計になったもので、ファインダーは補色鏡を使い二重像の分離のいいもので、レンズはヘキサー75mmF3.5(テッサー型)を使い速写性が向上、使いやすくなった。
1958年フルモデルチェンジしたⅣ型が登場。ボディは板金からダイキャストになり、ファインダーはブライトフレーム式になった。シャッターレリーズも左手操作から右手操作になり使い易くなり、世界最高のスプリングカメラとなった。しかし、スプリングカメラの時代は終わっていて、これだけのカメラが22,000円で発売されたのに全く売れなかった。5,000台、6ヶ月ほどの生産で終了した。明治以来の長い伝統を持つ「パール」もここに終わった。
「パールⅢ」1956年発売
レンズは4枚構成のヘキサー75mm F4.5。シャッターはセイコーシャMX(Ⅲ型の前期には自社製のコニラビットS付)で、B、1~1/500秒、MX接点付き。Ⅱ型のヘリコイドと連動していた被写界深度スケールはⅢ型になってレンズの周りに写された。パールの距離計連動方式はレンズ/シャッターユニットをヘリコイドで進退させ、その移動量をリンクにより距離計に伝えるもので、距離計とファインダーを一体化させた一眼式。シャッターセットはその都度行わなければならないが、レリーズボタンは前蓋に設けられた左手操作になっている。ボディ底部右側に装着された大型のノブが自動巻き止め装置で、フィルムを装填し、巻き上げてスタートマークを指標に合わせた後裏蓋を閉め、ノブに付けられた解除レバーを押してノブを巻き上げていくとカウンターに1が出て自動的にストップする。しかしこの装置は2重露出防止にはなっていない。[掲載文献]
コニカカメラの50年 P10 P128
使うスプリングカメラ P13
クラシックカメラの世界 P80
クラシックカメラ倶楽部 P98
カメラレビュー「クラシックカメラ専科」№73 P40
クラシックカメラ専科 №76 「スプリングカメラ編」 P32
クラシックカメラ便利帳 P166
日本のカメラ P95
2000―2001 カメラこだわり読本 P109
ちょっと触っていいですか P28