2019/09/10

オリンパス

大正8年(1919年)、顕微鏡製造を目的に、高千穂製作所が山下長によって設立された。
オリンパスになるのは戦後の昭和24年(1949年)である。
創立の翌年には最初の顕微鏡、乾燥系600倍の“旭号”を製品化するが、第一次大戦と外国製品に苦戦。昭和8年(1933年)、液浸系2000倍の“富士号”を発売。次いで海軍指定工場になったことで世に認められるようになった。
オリンパスは早くからカメラ用レンズを研究しており、昭和11年(1936年)6月に75mm F4.5レンズを完成する。同レンズは名称を社内で募集し、その中から“瑞光”が選ばれた。
戦後社外のマミヤシックスや、いくつかの高級二眼レフにも使われた。
レンズを完成した高千穂製作所は、その年ドイツからセミ判(6×4.5cm)スプリングカメラのボディとコンパー・シャッターを輸入して、それを組み付けて発売する。このときに初めてセミ・オリンパスの商品名が用いられた。
昭和13年(1938年)には国産のボディとコーホー・シャッターを組み合わせて、セミ・オリンパスⅡ型となる。さらに昭和15年(1940年)には6×6cm判のオリンパス・シックスも発売された。
カメラメーカーとしてオリンパスがその本領を発揮、他に強い影響力をもち、自社も発展したのは35mmカメラである。時代がスプリングカメラや二眼レフから35mmカメラに移っていくことをいち早く感知した高千穂製作所は昭和23年(1948年)にオリンパス35を発売する。
レンズシャッター付きの35mmカメラは戦前のわが国にもあったが、本格的な登場はこの昭和23年といえる。この年、小西六の距離計連動コニカと、東京光学のミニヨン35、それにオリンパス35が揃ってデビューした。このうちコニカはPX(駐留米軍の酒保)での販売専用で、一般向けの発売は昭和25年(1950年)3月だったので、オリンパスとミニヨンの両35が、戦後のレンズシャッター付き35mmカメラ第一号の栄誉を分け合った。両機は略同スペックであった。
初期のオリンパス35は、35mmフルサイズの標準レンズが50mmとされる中で、40mmとかなり広角気味の焦点距離を持ち、スナップカメラの傾向を持っていた。その性格をいっそう鮮明にしたのが、昭和30年(1955年)に発売されたオリンパスワイドである。Dズイコー35mm F3.5レンズを固定装着した世界最初のワイド専用機で、本機の成功の結果日本のカメラ界にレンズシャッターの35mmワイドカメラという新ジャンルが確立され、大流行となった。
このオリンパスを日本有数の大カメラメーカーに押し上げ、同時にその名を世界的にした最高傑作は昭和34年(1959年)10月に登場するオリンパス・ペンである。
(日本のカメラ 82)