2019/09/23

ゼンザブロニカ

アマチュアカメラマンであった吉野善三郎が、自分の理想とするカメラを作ろうと、1947年東京・板橋に新光堂製作所を興した。まずは戦後復興期の波に乗り、高級シガレットケースや女性用コンパクト、ライターなどを製造販売し、それで得た利益を投じて1951年から念願のカメラの開発に着手。吉野善三郎はカメラの設計にはまったく関係の無い人であったが、自分の夢を実現するために当時で1億円を越す私財と8年の歳月をかけて完成させたのがゼンザブロニカである。開発コンセプトは「ハッセルブラット以上の機能を持つ一眼レフ」であった。
1959年ステンレススチール外装、マガジン交換式の6×6cm判フォーカルプレーンシャッター一眼レフで、反射ミラーが通常の跳ね上げ式とは逆の降下式クイックリターンミラー、ピント合わせ、フィルム巻上げ、シャッター速度設定を全て一つのノブに集約するなどユニークな機構を持つ独創的なカメラ、ゼンザブロニカ(後にゼンザブロニカDと呼ばれる)を発売する。
ブロニカの内部機構も機能もハッセルブラッドとはまったく別のものだったが、マガジン交換式の機構や外観デザインがハッセルブラッドに似ていたため輸出を始めたときにビクター・ハッセルブラッド社からデザイン模倣の訴訟を起こされたが、ハッセルブラッドを凌駕した先進的内部機構を持っていたため、訴訟は取り下げられた。
カメラ名のゼンザブロニカは「善三郎のブローニー判カメラ」に由来する。

1988年に吉野善三郎が逝去。ゼンザブロニカはレンズメーカーのタムロンの資本参加により同社のグループに入る。2005年に「ブロニカ」のブランドの事業が終了した。