1959年 | D | 価格125,000円 ケース3,000円 |
1961年 | S | シャッターダイヤルをボディ左側に独立。Ω形のフィルム緊張機構組み込み 価格91,000円(セット) |
1964年 | C | フィルムバック固定式 価格81,000円 |
1965年 | C2 | 220フィルム対応 価格82,000円 |
S2 | 〃 メカニカル機の最終機 価格 | |
1967年 | S2ブラック | |
1972年 | EC | 電子シャッター組み込み、ファインダーフード改良 |
ミラーがニ分割、上下に動く。ピントグラス交換可、 | ||
操作系を全部右側に集中、ボディがダイキャストに、 | ||
ストロボ同調1/60秒 価格158,000円 ケース3,700円 | ||
1973年 | ECブラック | |
1975年 | EC-TL | ボディ内測光によるAE化 価格219,000円 ケース4,200円 |
EC-TLブラック | ||
1976年 | ETR | セミ判、レンズシャッターに移行 価格210,000円 |
1977年 | ETR-C | |
1978年 | EC-TLⅡ | フォーカルプレーンシャッター最終機、表示デジタル化 |
価格233,500円 | ||
ETR-S | 価格208,000円 | |
1980年 | SQブラック | 6×6判レンズシャッター機 価格187,000円 |
1982年 | SQ-A | 価格207,000円 |
SQ-Am | 価格242,000円 | |
1983年 | GS-1 | 6×7cm判 価格267,000円 |
1987年 | ETR-Si | |
1990年 | SQ-Ai |
1948年にハッセルブラッドの6×6cm判一眼レフが登場。プロ用中判カメラとしてローライの王座を奪いつつあった。クイックリターンミラー式ではなくブラックアウトするがファインダーパララックスはなく、レンズ交換でき、フィルムホルダーも途中交換できる、その上小型・軽量で軽快な操作感が評価された。
そのハッセルブラット以上のカメラを作ろうとしたのが吉野善三郎であった。
カメラ名のゼンザブロニカは善三郎のブローニー判カメラから名付けられた。最初のゼンザブロニカは1959年(昭和34年)に128,000円という国産カメラ最高価格で発売され、輸出もされた。その基本的な構成とデザインがハッセルブラッドとそっくりと批判された。しかし、似ているのは外観だけで内部構造は独創の塊であった。即ち、自動絞り、クイックリターンミラー、交換式ファインダーなどはハッセルブラッドに先駆けていた。ブロニカはミラーを前方に下降する方式としてバックフォーカスの余裕を稼いでいた。
しかし、あまりに理想を追ったために故障が少なくなく、1961年(昭和36年)改良型がスタンダードを意味するS型の名で発表される。その結果最初のモデルはデラックスを意味するD型と呼ばれるようになった。
S型ではシャッター速度を下げて最高速度を1/1000秒とし、セルフタイマーを利用した長時間露光も省略された。一方、新たにミラーアップ(ミラーダウン?)が設けられ、シャッターとミラーにショックを吸収するダンパーが加えられ、更にフィルム/シャッターの巻き上げもギア比を下げて1コマ2.5回転から3.5回転に落とし、フィルム巻上げのトラブルを解決した。S型は価格も91,000円となりやや求めやすくなった。
1964年(昭和29年)になると、更に性能を整理したC(コンビネーション)型が81,000円で発表される。フィルムバックは非交換の固定装着とし、シャッターも1/500秒としたものである。またヘリコイドリングを付け、その先端にレンズを着けるようになった。従って、焦点調節はボディの右側ノブからレンズ基部のリング、即ち通常の一眼レフと同じようになった。
1965年(昭和40年)C型を6×6cm判が24枚撮れる220フィルムを使えるようにしたC2型が82,000円で登場。更に同年、C型に1/1000秒とフィルムマガジン(120、220兼用)を復活させて登場したS2型に至って理想と現実の両立に成功した。
S2型はメカニカル機の最終型で、D型からS型を経て徐々にボディ構造、特に操作系をシンプルにしてメカニズムの負担を減らして生産性と耐久性を上げてきた。D型にくらべボディは大きくなったが信頼性が向上した。
[掲載文献]
写して楽しむクラシックカメラ Part3 P204
こだわりのカメラ選び P
写真工業 2006年1月 №681 P40
日本のカメラ P110
カメラスタイル 平13 №14 P33
名機を訪ねて P205
世界の名作カメラ100 P114