2019/10/16

マミヤシックスⅠ型 1940年


形式:6×6cm判バックフォーカス式焦点調節(焦点面移動式)距離計連動式
スプリングカメラ
フィルム:120判フィルム
レンズ:K.O.Lスペシャル7.5cm F3.5 3群3枚構成 №58507
シャッター:N.K.Sシャッター、T、B、1~1/200秒
絞り:3.5~32
巻き上げ:赤窓付き
大きさ・重さ:144×103×53mm、790g
価格:248円

間宮精一の開発。昭和15年(1940年)に発売され、第二次世界大戦を挟んで昭和34年(1959年)まで40万台以上を生産したマミヤシックスの初号機。
透視ファインダーの他に反射ファインダーを備える。巻き上げは一枚目を赤窓に1を出せば後は自動巻き止めになった。シャッターは手動でセット。
Ⅰ型は戦時中に細部の改良でⅢ型に発展。二重露光防止のため、シャッターを切ると二重露光防止の警告をする赤いマークが出る。またシャッターチャージレバーの復帰動作を利用したフラッシュシンクロ装置が付けられた。シャッター上部の角型のカバーが外観上の特徴で、シンクロ接点付きシャッターが採用される以前のⅣ前期型まで引き継がれた。
戦後は同じⅢ型を生産。昭和22年(1947年)に距離計を改良したⅣ型に発展。Ⅳ型にはいくつかのバリエーションがある。
その後セミ判兼用のⅤ型、赤窓式普及機のK型、一回り小型化し機構・外観を一新したⅣB型、その普及版のⅣS型、K2型、一層大衆的なP型など次々と出す。
ⅣB型は昭和30年(1955年)発売で、レンズはオリンパス製Dズイコー、シャッターは
1/500秒までのセイコーシャラビットが付いた。
マミヤシックスの発展の極は1955年のオートマットで、レンズシャッターのスプリングカメラでは不可能とされていたシャッターとフィルム同時巻上げを達成した。ボディは機構・外観の基本形が一新されたⅣB型をベースにしている。スプリングカメラの最高を極めたカメラの一つといえる機種である。
最終モデルは昭和33年(1958年)発売のオートマットⅡ型で、ファインダーにアルバダ式ブライトフレームが付き、レンズがマミヤセコールとなって、価格は24,000円と安くなった。

1940年(昭和15年)9月マミヤシックスⅠ 248円
1941年(昭和16年)12月〃 Ⅲ 384円
1945年(昭和20年)9月〃 Ⅲ 生産再開
1947年(昭和22年)〃 Ⅳ前期型
1950年頃〃 Ⅳ後期型
1955年(昭和30年)〃 ⅣB
1955年(昭和30年)〃 オートマット 29,500円
1957年(昭和32年)〃 ⅣS 17,500円
マミヤセコール75mm F3.5、
コパルMXV B、1~1/500秒付き
〃 P 12,000円
マミヤセコール75mm、F3.5
コパル B、1~1/300秒付き
1958年(昭和33年)〃 オートマット2 24,000円
マミヤセコール75mm、F3.5
セイコーシャMX B、1~1/400秒付き
採光窓式ファインダーを装備。

マミヤシックスのボディナンバーは会社創設の昭和15年が皇紀2600年にちなみ、2600(または2601)番から始まっている。

マミヤシックス・オリジナル
Ⅰ型準備期間に完成していた二重露光防止警告装置は、予定していたKOLのシャッターの製造計画が中断したためNKSに変更。二重露光防止警告装置を取り付けられなくなった。
Ⅰ型は二重露光防止警告装置を省略した形で発売された。このためオリジナルとⅠ型ではシャッター上のデザインが変わっている。オリジナル型は50台前後製造されたと思われる。

マミヤシックスⅢ型
戦前の1941年12月発売だが、戦中は製造を休止。
戦後1945年9月に生産を再開。
フラッシュ同調用に1ピン式シンクロターミナルを装備。

マミヤシックスⅣB型
1955年(昭和30年)発売。
オリンパス製のDズイコー75mm F3.5レンズとセイコーシャ・ラビット・シャッターという最上の組み合わせを持つ機種。

マミヤシックス・オートマット
1955年(昭和30年)発売
折り畳み式スプリングカメラでセルフコッキング方式を実現した。
レンズはDズイコー75mm、F3.5
< シャッターはセイコーMX、B、1~1/500秒
スプリングカメラの最高を極めたカメラ。

[掲載文献]
カメラレビュー・クラシックカメラ専科 №68 P79
カメラの歴史散歩道 P141、316
日本のカメラ P118
クラシックカメラの世界 P80