2019/10/17

マミヤプレス 1960年


国産初のハンディプレスカメラ。

形式:レンズ・フィルムバック交換式6×9cm判距離計連動カメラ
マウント:スピゴット式
標準レンズ:マミヤセコール90mm F3.5 3群4枚構成テッサータイプ
№1186823
絞り:3.5~32
シャッター:セイコーシャS0番 B、1~1/500秒 レンズシャッター式、M,X接点
ファインダー:二重像合致式連動距離計、倍率0.66倍、基線長60mm、
90mmと150mmレバースライドで切り換え式
手動式パララックス補正機能付(接眼レンズを上下に動かす)
大きさ・重さ:本体のみ 140×161×70mm
レンズ・フィルムバック付 235×161×155mm 2150g
カメラバックが31mm後退するため、ピントグラスを併用することで最短撮影距離34cmが可能になる。また、最大で15°のアオリができる。

四角い形状をした全金属製のボディにレンズ・シャッター・連動距離計・交換式フィルムバックとグリップで構成される。当時のプレスカメラは、スピードグラフィックやリンホフ・テヒニカのような折り畳みできる蛇腹カメラであった。
マミヤプレスは、基本的な機能や外観の形状はドイツのリンホフ社が1958年に発売したリンホフ・テヒニカ・プレス23に範をとった。それに加え多様なレンズやアクセサリーが用意された。最終モデルは1969年のマミヤ・ユニバーサル・プレスで1990年頃まで販売されていた。リンホフ・プレスは1963年頃には販売を終了している。この分野ではマミヤプレスが独走していたといってよい。

プレスカメラが出現したのは、1900年から1910年にかけてのエルネマンのトロッペン・クラップやイカのミニマム・パルモスが最初だと考えられるが、機構が単純で頑丈なカメラがプレスカメラとして使われていた。
新聞写真が報道の手段として使われるようになると、1920年代のエルマノックスのようにF2やF1.8の大口径レンズを付けたカメラが出現し、自然のままを撮影するキャンディッドフォトが誕生している。
プレスカメラはその後はプラウベルマキナやスピードグラフィックとして発展し、戦前から戦後まで使われた。
このプレスカメラに変化が生じたのが日本の35mm一眼レフである。これは、フィルムの粒状性が格段に進歩・向上したことにもよるが、近代的な一眼レフの機動性と豊富な交換レンズによって、35mmが従来のプレスカメラに変わって使われるようになった。
その中で生じた新しい流れが新聞や雑誌媒体のカラー化だった。
当時はまだスキャナー技術が発達していなかったから、等倍撮影が基本で、3倍撮影が限度となる製版カメラを使う印刷では、原版となるカラーフィルムはサイズが大きいことが求められた。そこで誕生したのが従来のプレスカメラとは異なる、機動性があるリジッドボディの中判カメラで、このマミヤプレスの生産時期と重なって、リンホフ・プレス70、グラフィックXL、コニカプレスなど多くのリジッドボディの中判カメラが誕生した。
1965年のマミヤプレス・スタンダードまでが第一世代で、1967年のマミヤプレス・スーパー23からはボディが完全な箱型になり、レンズマウントは同一だが差し込んだバヨネットをカメラ側のリング回転で締め付けるものになった。またファィンダーもブライトフレーム付になり、フレームが切り換えられ、パララックスが自動補正になった。
後部にアオリのあるスーパー23と後部を大型のポラロイドバック(73×95mm)に変えて、アダプターでマミヤグラフロックのバックが使えるようにしたマミヤプレス・ユニバーサルが生産された。

[掲載文献]
写真工業 2006年8月号(Vol64 №688) P31
世界ヴィンテージカメラ大全 (スーパーテヒニカⅣ型) P139
写して楽しむクラシックカメラ Part3 P210