2019/10/08

4a 1947年(1949)


(コンタックスⅡのコピー)

コンタックスⅡのソビエト版
第二次世界大戦が終わって、戦勝国ソビエトはドイツの一部を占領し、占領地域にあった工場の機器類を戦利品として没収した。光学部門もその中にあり、イエナにあったカール・ツァイスの機器が没収され、ソビエトに運ばれた。その中のコンタックス製造ラインは、分解・搬送されソビエトで再組み立てするときうまくいかなかった。いろいろあった後イエナの工場で生産を開始する。(写真工業Vol65 №704/2007年12月号に詳説)

形式:35mm判フォーカルプレン式距離計連動カメラ
標準レンズ:ユピテル8M 53mm F2
画面サイズ 24×36mm
巻き上げ:ノブ巻上げ、セルフコッキング
レンズ:バヨネットマウント式レンズ交換式、
標準レンズ:ジュピター8M 50mmF2
ファインダー:ドレーカイル式一眼式距離計
シャッター:金属性鎧戸式上下走行シャッター、B、1~1/1250
セルフタイマー付き
シンクロ:シンクロターミナル付き
寸法・重量:140(W)×81(H)×42(D)mm、560g(ボディのみ)
設計者:ツァイス・イコンのフバート・ネルヴィン

旧エルネマンやイカ社の所在地でツァイス・イコンの主力工場のあったドレスデンは東ドイツになり、唯一シュツットガルトの旧コンテッサ・ネッテル工場だけが西ドイツに残った。こうしてカール・ツァイス、ツァイス・イコンは東西に二分された。
ドイツが降伏した翌月の1945年6月、米軍は、優秀な技術者の東側への流出を防ごうと、終戦の混乱に乗じて、カール・ツフイスの技術者84名、ショット・ガラス社の技術者41名をトラックで西ドイツ南部の小さな村であったオーバーコーヘンに脱出させた。彼ら125
名の技術者は、会社名を「ツァイス・オプトン」とし、廃屋となっていた工場でレンズの生産を開始した。
ここで作られたレンズにはツァイス・オプトンの銘が入っていて、戦後再開されたローライフレックスなどに供給された。その後、東のカール・ツァイスと商標権を争って法廷闘争を展開、1954年になってカール・ツァイスの商標権を取り戻した。
レンズ前枠に「Carl Zeiss Jena」と刻まれているのは戦前から1954年にかけてのイエナ製レンズで、「Zeiss Opton」とあるのは終戦直後から1954年までのオーバーコーヘン製、
ただ「Carl Zeiss」とあるのはオーバーコーヘン製である。

[掲載文献]
クラシックカメラの世界 P34
写真工業 2007年12月号(Vol65 №704) 「無名の名カメラ・名レンズ」 P88
カメラレビュー・クラシックカメラ専科 20世紀世界のカメラ50選 №66 P40
季刊クラシックカメラ5 P28
カメラスタイル№10 P35(分解記事あり)
CAPAロシア製カメラ&中国製カメラの攻略ガイド P15
完カタ!!中古カメラ5「今すぐ買える中古カメラ完全カタログ5」 P26
中古カメラウイルス図鑑 P46
ちょっと触っていいですか P84
神立尚紀 図解・カメラの歴史 P71