2019/10/18
α7000 1985年
1980年からプロジェクトチームがスタートした。新たな発展を遂げるためレンズ・ボディのシステム、巻上げ機構などの検討に続き、オートフォーカスへと発展していった。大英断の末、マウントを一新し、本格的なオートフォーカスを搭載したα-7000が登場した。
「アルファショック」といわれた社会現象とまでなった。オートフォーカス一眼レフは、かつてないデザインと、過去に例を見ない液晶パネル、ボタン類を搭載、新しいカメラの時代を作った。
シャッター:マイクロコンピュータ制御式縦走行金属膜シャッター
B、30~1/2000秒 セルフタイマー付き
マウント:ミノルタAマウント
オートフォーカス化に際し、それまで27年間不変のマウントといわれていたマウントを変更。新たにAF対応の電子接点付きミノルタAマウントとなった。
フラッシュ制御形式:TTL自動調光
ファインダー:ペンタプリズム固定式
巻上げ形式:一コマ撮影・連続撮影切替可、
連続撮影時最高2.5コマ/秒の連続巻上げ可
巻き戻し:Rボタンと巻き戻しレバーにより自動巻き戻し
電源:Ni-Cd3×4
寸法・重量:138×91.6×52.2mm、525g
発売時価格:88,000円
α7000は大ヒットし、一時は国内の占有率が50%を超したという。アメリカ市場で「マクサム(MAXXSUM)」と名づけられたα7000が、ほぼ100万台に達した1987年(昭和62年)春、アメリカの大手自動制御計測機器メーカーのハネウエル社が特許侵害でミノルタを告訴した。自動焦点の特許等をめぐるもので、その対象はカメラ会社のみならず家電企業を含む日本の主要メーカー数社に及んでいた。
法廷闘争は5年間に及び、1992年(平成4年)3月ようやく和解が成立してハネウエル社の告訴は取り下げられた。ハネウエル社はミノルタをはじめとする日本の主要メーカー数社から合計300億円近い金をとった。
1985年ミノルタα7000が出て、αショックを追撃するべく、ニコン(F501)、京セラ(京セラ230AF)に続いてキヤノン(EOS650)とペンタックス(ペンタックスSFX)にAF一眼レフが登場。
ミノルタα7000(一時は50%のシェアにもなった)によってキヤノンはAE-1以来維持してきたシェア№1を奪われるが、2年後の1987年EOS650を出し、2ヵ月後にシェア№1を奪回した。
[掲載文献]
カメラの歴史散歩道 P364
ミノルタカメラの全て P52
ミノルタの軌跡 P131
めざすはライカ P278
国産実用中古カメラ・買い方ガイド100 P87
神立尚紀 図解・カメラの歴史 P210
20世紀☆カメラ1950~2000 P68
日本カメラ博物館「世界を制した日本のカメラ」 P26