2019/10/17

リコーフレックス モデルⅦM 1956年


1954年のⅢ型から始まるシリーズの完成の域に達した機種。(Ⅰ、Ⅱ型は無い)
ギア式の焦点調節と上蓋のスリットを使うコンツール(輪郭)ファインダーが特徴

1950年発売の「リコーフレックスⅢ」は、前玉回転のギア噛み合わせフォーカシングと、ダイカストに替わる鉄板ボディーによる簡潔・軽量な構成、写りが良く、廉価(5800円)なこの二眼レフは、発売と同時に、瞬く間に市場の人気を獲得、市場へのインパクトが大きかった。二眼レフブームをつくる。

普及型6×6cm判二眼レフ
ギア連結による前玉回転式フォーカシング
鉄板構造による小型で軽量なボディー
レンズ:リコーアナスチグマット8cm F3.5 (3群3枚構成)
シャッター:リケン、B、1/25~1/200秒
巻上げ:赤窓式ノブ巻上げ
寸法・重さ:73×130×100mm、770g
発売時価格:リコーフレックスⅦ 1954年が6,800円
セイコーシャラビット付きは高級仕様で10,500円(ケース付き13,000円)

日本の二眼レフは、「ローライフレックス」を規範としたものと、「リコーフレックス」スタイル、あるいはその折衷型のものがある。
リコーフレックスはドイツのレクタフレックスのコピーといわれ、ローライの全生産台数を超える100万台以上の人気カメラであった。
設計は藤本栄で、小西六で初の35mmカメラ(X線撮影用)ルビコンを開発した人物である。図面通りにやろうというのが藤本の口癖で、生産の合理化を実現した。

1952年から54~55年にかけて続々と生産され、メーカーが乱立し、二眼レフのブランドの頭文字はJ,U,Xを除いてアルファベットの全てが揃うという状態になった。その中には粗悪な品質のものもあった。
生産過剰の状態も、1954年ころから、四畳半メーカーを中心に整理されていく。
その後は、有力メーカーの機種が、品質・性能の向上によって、35mmカメラと並んで海外進出の柱となっていく。
国内の需要は1950年代後半には衰退していっている。

戦前、日本の二眼レフは、大橋光機、藤本製作所、千代田光学精工(ミノルタ)、理研光学工業(リコー)が発売しているが、戦後の大ブームのきっかけになったのは1950年理研光学工業の「リコーフレックスⅢ」である。ローライフレックスが約9万円で売られていた時、5800円ケース1500円という安さで発売された。(大学卒初任給が3,000円、ラーメン30円の時代)
後を追って、1950年10月には太陽堂光機から「ビューティフレックス」が発売された。ダイキャストボディで高級感を出し、12000円だったが、リコーフレックスⅢの闇値が同じだったのでこれも良く売れた。四畳半メーカーも含め二眼レフが次々に登場し、1957年には40万台生産まであと一息というところでピークに達した。1959年までに160種類以上が生産された。

[掲載文献]
カメラの歴史散歩道 P146 日本のカメラ P64、133
クラシックカメラ倶楽部 P90 小倉磐夫 「国産カメラ開発物語」 P78
写して楽しむクラシックカメラ Part2 P156
カメラレビュー・クラシックカメラ専科 №62 P54
名機を訪ねて P33 学研「大人の科学」 P34
神立尚紀 図解・カメラの歴史 P86 クラシックカメラ便利帳 P173
20世紀☆カメラ1950~2000 P10

[修理マニュアル]
やさしいカメラ修理教室 P34
カメラ修理のABC P193