2019/10/07
Minox B 1958~1972年
オリジナルモデルは、1938年ラトビアの首都リガ市にあったVFE社で生まれた。
設計者は、ヴァルター・ツァップ。外装がステンレススチール製の精巧な超小型カメラであった。
ミノックスBは1958年に発売された最初の露出計内蔵モデルである。
形式:カートリッジ入りロールフィルム使用の超小型カメラ
使用フィルム:9.5mm幅、
画面サイズ :8×11mm。
レンズ :Complan 15mm F3.5テッサー型、絞り無し
ファインダー:アルバダ式ブライトフレーム、パララックス自動補正
シャッター :メタル二枚羽根ギロチン式。T、B、1/2~1/1000秒
スライド式の引き出しで撮影状態になり、押し込むと巻き上げとシャッターがセットされる。
露出計 :セレン露出計内蔵
内臓フィルター:グリーン、MD、UV
ボディ:アルミ合金
大きさ・重さ:98×18×28mm、93g
撮影レンズの球面収差を極力減らし、回折効果をきらって、いつも開放で使う設計で絞りが付いていない。このミノックスB型を「アサヒカメラ」の「ニューフェース診断室」で1966年にテストしているが、球面収差は測定できないほど小さいとされ、画面中心の解像力は325本/mmと「診断室」史上最高の数値を記録している。また面積平均解像力も161本/mmである。これは平均増面がわずかに内側に湾曲しているため、実際のミノックスボディではフィルム圧板は凹面仕上げになっていて、フィルムゲートもそれに沿わせて曲げてある。今のレンズ付きフィルムと同じ考え方である。
第二次大戦後は、ドイツのギーセン市に設立されたミノックス社に移り、基本コンセプトを踏襲して生産を続け、1948年に外装を軽合金化して軽くした(70g)「Ⅱ型」が発売された。
ドイツに移る段階で、ドイツの技術をベースにした機構、光学系の改造、外装の軽金属化による軽量化が図られたが、基本構造、概観イメージは全く変わっていない。
このモデルは露出計を内蔵したタイプ。後継機BLが出る1972年まで15年間製造された。
1962年のキューバ危機の際、KGBのオレグ・ペンコフスキー大佐は、ソ連側の機密文書をミノックスで複写してアメリカに流した。それらの文書は、ケルディ大統領のフルシチョフ書記長に対する交渉主導権の確保に役立ったという。この舞台裏は大佐が逮捕され、銃殺されたとのニュースから「ペンコフスキー事件」として明るみに出ることになった。
ペンコフスキーが活動を始めた頃ミノックスはB型が生産されていた。
1976年ロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄元首相の法廷写真をスクープした写真週刊誌「FOCUS」の福田文昭カメラマンか撮影にミノックスを使ったと言っている。
[掲載文献]
カメラの歴史散歩道 P60、134
クラシックカメラの世界 P88
写真工業 2005年11月号(Vol63 №679) P54
ノスタルジックカメラ・マクロ図鑑 Part1 P112
写して楽しむクラシックカメラ Part2 P94
こだわりのカメラ選び Part2 P192
小倉磐夫「カメラと戦争」 P81
神立尚紀 図解・カメラの歴史 P194
世界ヴィンテージ・カメラ大全 P139
極上カメラ100 P194
こだわりカメラのスナップ流儀 P24
図説 カメラの歴史 P116