2019/10/09

Super Ikonta 531 1954年


(Super Semi Ikonta V)

スプリングカメラの最高峰「スーパー・イコンタ」のセミ判カメラ
イコンタ4.5×6cm判はブローニー判の半裁なので、日本ではセミイコンタと呼ばれる。生産期間が長いのでバリエーションが多い。

レンズ:テッサー75mm F3.5 前玉回転式 №995763
ファインダー:アルバダ式
距離調節:ドレーカイル式距離計が連動する。 前玉回転
シャッター:シンクロコンパー、 B、1~1/500
その都度セットしなければならないが、二重露光防止機構によってフィルムを巻き上げないとレリーズできないようになっている。
フィルム巻上げ:赤窓式、ノブによる。巻き上げでシャッターロック解除
巻き上げると赤マークが出て、シャッターを切ると白になる。
大きさ・重さ:120×95×47mm(折り畳み)、587g
発売時価格:655円(1934年発売 スーパーセミイコンタ530 テッサー7.5cm F3.5付)
前蓋を開く時は、前蓋の脚部を引き出し、上のボタンを押しながら引く。
この時ファインダーも上に開ける状態になる。

ツァイス・イコン社初のオリジナルカメラは、1929年の「イコンタ520/2」である。120ロールフィルムを使用する6×9cm判である。後にドイツ・コダック社で35mm判スプリングカメラ「レチナ」シリーズを開発したことで有名なナーゲル博士が開発を指揮したそうである。6×9、6×6、6×4.5、ベスト判ほか様々なフォーマットの同型機が開発され、1934年にはドレーカイル式連動距離計を内蔵した「スーパーイコンタ」が登場。戦後も1957年まで販売が続けられている。イコンタの普及機としてネッター、ボブ、シンプレックスといった低価格機も開発された。
1929年6×9cm判
1930年5×7.5cm判
1931年3×4cm判 と 6.5×11cm判
1929年6×4.5cm判
スーパーセミイコンタは1934年に6×9cm判のスーパーイコンタと同時発売で、6×6cm判スーパーシックスに一年先駆けての発売であった。

ツァイスイコンはカメラを型式番号と画面サイズ番号で分類しているが、4.5×6cm判にはもともと画面サイズ番号がない。従ってスーパーイコンタの4.5×6cm判、6×6cm判、6×9cm判はそれぞれ530、530/16、530/2と呼ばれた。アメリカではスーパーイコンタA、スーパーイコンタB、スーパーイコンタCと呼んでいる。
日本では当時の総代理店の日本カールツァイスがイコンタ時代から4.5×6cm判はセミイコンタと呼んでいた。
スーパーセミイコンタは1934年から戦後の1956年に製造が中止されるまで、細かな変更が次々と加えられていったが、型式番号は1937年に530から531に変更しただけであった。しかし、日本では販売政策から小さな変更でも呼び名を変えて1934年の最初のタイプがオリジナル、ついでⅠ型からⅤ型まで細かく区分していた。

1934年のスーパーイコンタは普通の逆ガリレオ式ファインダーたったが、1935年からはアルバダ式ファインダーが採用された。
1932年イコンタ4.5×6cm判Ⅰ型(アメリカではイコンタA)
3枚玉のノバー7.5cm F6.3レンズとⅠ/25~1/100秒のデルバルシャッター
ファインダー素通しの枠型
1934年ドレーカイル式連動距離計付スーパーイコンタが4.5×6cm判でデビュー
これまでスプリングカメラの連動距離計をカメラメーカーは模索していたが決定打はなかった。1934年にツァイスイコンは、ハインツ・キュッペンベンダー博士のもとで技術陣の総力をあげて発明されたのがドレーカイル式の測距方式であった。
1935年スーパーイコンタ530 日本ではⅠ型。
1936年スーパーイコンタ531 日本ではスーパーセミⅡ型。
二重露出防止装置が付き、ファインダーがアルバダ式になる。セミ判スプリングカメラの最高峰としてアマチュアカメラマンの憧れの的となった。
1935年発売の原型からこのモデルまでのテッサーF3.5のレンズは焦点距離が7cmと短め。
スプリングカメラは左ボディレリーズが多かったが、1950年発売の「531/2」型「スーパーイコンタ」は1936年にボディレリーズ型に改良され、戦後のモデルでも基本線はそのまま受け継がれた。オリジナル型の基本構成を変えないで、そのままボディレリーズ化したため、レリーズは機構的に都合の良いファインダー側の面の前蓋のヒンジに近い位置に設置されたため左手シャッターとなっている。
1937年スーパーイコンタ531:コンパーラビット、アルバダ式ファインダー
フィルム巻き取り方向が上から下方になる変更でⅡ型となり、型式番号も531に変わった。ボディシャッターと巻き取りキーは黒いハウジングに取り込まれる。二重露出が防止されたが相変わらず赤窓式。コンパーラビットにはTがなくなる。
1938年イコンタ4.5×6cm判Ⅱ型
二重露出、空写し防止になったもので、そのため巻き上げの方向も、キーの位置も逆転した。各部のメッキが白く光るクロームになった。
Ⅲ型ではレンズがテッサー7.5cm F3.5に変わり、レンズの焦点距離が長くなった分前蓋も深いものに変更。二重露出防止のハウジングもクロームメッキのマット仕上げになった。1948年に作られたクスナー付やノバー付がある。
1948年西ドイツシュトゥトガルト製でレンズのみ東ドイツ イエナのテッサー、コーティングレンズ付の東西混合型があった。
1950年戦後のモデルで日本ではⅣ型と呼ばれる。後にオプトンテッサーに切り換えられている。レンズは普通はコーティング付きテッサーだが、当時東西ドイツに分かれていたためツァイスの生産能力が落ちシュナイダーのクスナー75mm F3.5も使われた。シャッターがX接点付、1/500秒までのコンパーラビットになった。それ以外の機能はⅢ型と全く同じで、1952年からはM、X付のコンパーラビットとなった。
1954年Ⅴ型と呼ばれる最終モデルとなりシャッターがシンクロコンパーになった。

[掲載文献]
写して楽しむクラシックカメラPart2 P142(使い方詳述)
スプリングカメラでいこう P90
クラシックカメラミニブック12 使うスプリングカメラ P10
カメラレビュー クラシックカメラ専科№66 「20世紀世界のカメラ50選」 P22
カメラレビュー クラシックカメラ専科№73 「スーパーイコンタ“A"“B"“C"」 P36
カメラレビュー クラシックカメラ専科№80 「ツァイスイコンカメラ総特集」 P20
季刊クラシックカメラ№5 「特集ツァイス」 P
世界ヴィンテージ・カメラ大全 P44
図解カメラの歴史 P66
クラシックカメラの世界 P76
カメラの歴史散歩道 P24、39、335、387
2000-2001 カメラこだわり読本 P108