ツァイス・イコン社は1926年にドイツの4大有力カメラメーカーであった、エルネマン、イカ、コンテッサ・ネッテル、C.P.ゲルツが合併して発足した。当時ドイツは大変な不況で、カメラメーカーの倒産によって自社レンズの販路が絶たれることを恐れたカール・ツァイス社がこの合併を主導したのである。
この4社はもともと優れたカメラを製造していたが、1929年にスプリングカメラの最高傑作といわれるイコンタを発売した後、コンタックスやコンタフレックスなど独自のカメラを次々と登場させた。ツァイス・イコン社は文字通り世界最大、かつ最強のカメラメーカーとして、時には過剰なまでの性能にこだわった最高品質のカメラ群を作った。
ドイツ敗戦の結果、東西ドイツが分断されたことにより、本拠地ドレスデンは東独に編入された上、1948年にはすべてVEB(人民公社)化されることになった。これに対し、ツァイス・イコンの役員会は西ドイツのシュツットガルト工場で生産を開始し、こちらが戦後のツァイス・イコン社となった。
東独のツァイス・イコン社はいくつかの変遷の後、VEBペンタコン社となり、1990年のドイツ統合まで多数のカメラを作った。
日本のカメラとはデザインのティストが異なるのが魅力であるが、日本製カメラの低価格攻勢に最終的に敗れ、1966年には経営が苦しくなり、フォクトレンダー社と協業することになり、ツァイスイコン・フォクトレンダー名で、一眼レフのイカレックスシリーズやビテッサ500AE、ビテッサ1000SRといったコンパクトカメラを世に出している。
フォクトレンダー社と提携したがうまくいかず、1972年コンタレックスSEを最後にカメラ製造から撤退した。その後はドアの錠前などの製造を続けていたが、現在は事業をすべて売却、カール・ツァイス社が商標だけを保持しているそうである。
(世界ヴィンテージ・カメラ大全 P43)